【未来を育む...】日本の育成年代についてのデータあれこれ ~"草の根"は育っているか?~
今回はチャレンジングなテーマ、「育成年代」のお話。
普段、私は主にJリーグ、とりわけジェフ千葉のネタを中心に、海外サッカーであれば戦術、ナショナルチームなら監督、指導者を軸にサッカーやサッカー関係のデータを追いかけていることが多いですが、そういえば育成年代(ジュニア・ジュニアユース・ユース)については、あまりフォローしていなかったな...と。
まずは、最近私が気になった主な育成年代にまつわるニュースを下記にピックアップしてみます。個別にコメントも付けていきます。
(件のデータは後の方にあるので、私個人の講釈は読み飛ばしてもらって結構です ^^;)
アーセナルSS市川は、私が今住んでる地域でもっともご近所の育成クラブでして。。そんなローカルクラブにUEFAライセンスを持つ元スペイン代表・W杯出場選手が来るなんて、驚愕してしまいまして。因みに最近知ったのですが、代表者・幸野健一氏は現V・ファーレン長崎の幸野志有人選手のお父様なのだそうです。
ひっそりリリースされてましたが、甲府のU-15に初の外国籍監督として、UEFAライセンス(S級相当)を持つスペイン人監督アドリアン氏が就任。 甲府もスペイン風味に味付けしはじめた!(そして、アドリアン氏、27歳って...写真見る限り(ry
おらがジェフユナイテッド市原・千葉のアカデミーにU-12(小学生年代)のエリート・プログラム・強化スクールが新設。2/14~2/19の期間に、各学年毎にセレクションが実施されます。未来のジェフ戦士がここから育つ...
海外サッカー雑誌Footballista(フットボリスタ)の元編集長であり、スペインにおける育成年代への指導歴豊富なライターである木村浩嗣氏のコラム。同じくスペインの育成年代で指導されている坪井健太郎氏の著書を読んでいたのですが、木村氏の意見の通り、私もタクティクスは年代を問わず浸透を図るべきと思いますね。
今季、J2へ昇格を果たした大分トリニータの育成成果について。電撃的にセレッソ大阪へ復帰を果たした清武弘嗣をはじめ、かつては日本代表GK西川、同じ浦和の梅崎、FC東京の東らを輩出している知る人ぞ知る育成の雄・トリニータ。主将の山岸や竹内らベテラン、元ジェフ選手に目が行きがちでしたが、大分の育成出身選手もフォローしていきたいと思いました。
選手育成だけでなく、指導者育成も重要なテーマですね(本エントリとすこしズレるけど)。この指導者派遣プログラムは日本サッカー協会(以下、JFA)とJリーグの協働プログラムで、「国際経験・国際感覚を持った育成年代指導者の育成」を目的に長期間に渡って海外、主に欧州へと指導者を派遣する取り組み。
同プログラムでは、同じくマリノスジュニアユースの坪倉監督がベルギー・アンデルレヒトへ、モンテディオ山形アカデミーの中村コーチはドイツ・デュッセルドルフへそれぞれ派遣されるとのこと。
と、ここまでのべつ幕なしに挙げ連ねてみましたが、「育成が大事!」ってことで、いろんなクラブ、カテゴリー、協会含めて様々取り組みをやっているかと思います。
一方、こうしたメディアや記事に取り上げられるのは、育成年代の現状に間違いはないけれどもちょっと目線が上というか、意識が高い層、同じ小学生、中学生でもそれなりに高度な指導を受けているであろう子どもたちの層なのかなとも思えまして。。
小学生のそれこそ低学年くらいから本気でプロサッカー選手を目指すべく英才教育を受けていそうな層ではなく、「草の根 / グラスルーツ」に相当する"町の少年サッカー"でサッカーをする子どもたちの現状ってどうなのかな、と思い今回データを見つけ出した次第です(ここまで前置き)。
Jリーグ開幕から二十余年。Jリーグ、JFL・地域リーグ含め、地域密着の理念の下、47都道府県にまたがってチーム数は70を超えました。
また98年にW杯初出場を果たしてから現在までのサッカー日本代表の活躍、さらにはなでしこジャパンによるドイツW杯優勝により、あらゆる垣根を超えてサッカーという球技が市民権を得、その人気の高まりとともに競技人口も着実に増えてきているかと思います。
「サッカーやってみよう!」てな具合に、プロを目指す、目指さないは置いておいて、ひとまずサッカーという競技をしているよ、というまさにそうした草の根の実情の一端をデータにて可視化してみました。
データ元は、ご覧の提供でお送りします。
本エントリでは、JFAが定義するチーム種別における、第4種(小学生年代|12歳未満)と第3種(中学生年代|15歳未満)、それと厳密には育成年代だけではないのですが、参考として女子(12歳以上の女性選手のみのチーム。中学生年代はここに含む)にそれぞれ加盟・登録している、チーム数、選手数、指導者数について、各年度毎の推移をそれぞれ可視化してみました。
※JFA加盟チームの種別について、詳しくは下記まで。。
【図1 JFA加盟第4種・第3種チーム数の時系列推移】
JFAのデータが79年からということで全部引っ張ってみました。グラフの見方ですが、左から右に向けて、1979年から2015年に渡ってのJFA加盟チーム数の面グラフです。グレーが第4種、青が3種。見事に右肩上がりになってます。
データ元はJFAということで、沿革のページなんかには協会の取り組みが列記されていて、私の独断にてグラフにそれぞれ各年での主な出来事をランダムに置いてみました。
日本がW杯に出るなんて誰も思わなかったであろう時代。そもそもサッカーがまだマイナー競技だった、Jリーグができるもっと前の時代から数えて、次にあげる選手数の推移もそうなのですが、少年サッカーチームは着実に増え続けていることが分かります。
これについて、協会の多大な功績ももちろんあろうかとは思うのですが、日本サッカーの歴史において、今日の姿を左右したであろう出来事。。
それは、「キャプテン翼」が世に出たことの一言に尽きます(高橋先生ありがと~)!!
※あくまで私個人の見解です。
先にJFA登録選手数を御覧頂いてからの方が、"キャプ翼"のインパクトが分かるかと思います。。
【図2 JFA登録第4種・第3種選手数の時系列推移】
図2は選手数の推移。単位は人数です。折れ線グラフの「継続率(第4種→第3種)」は、小学生から中学生になってからもサッカーを続けたか、、の目安として、前年の第4種人数を母として、当年の第3種人数の割合を見ています。カテが変わっているのはイチ学年層だけなので、実態とは少し外れているかとは思うのですが、小学校から中学校になるというのは、子どもにとっての環境変化としたら、かなり大きなものと思うので、個人的に見ておきたかった部分なのです。。
1981年に週刊少年ジャンプにてキャプテン翼の連載が開始。そこから、5~6年間の選手数、特に第4種の小学生年代の増え方が半端ではない...
86年には奥寺康彦さん(現横浜FC会長)、木村和司さん(現解説者)がそれぞれ日本人初のプロ選手としてJFAへ登録されます。
89年には高円宮杯全日本ジュニアユース大会がスタート(U-18カテゴリは90年スタート。11年にリーグ方式に移行しプレミアリーグ化)。協会側は全国大会を創設したりと地道に取り組み進めているのですが、88年にキャプ翼ジュニアユース編が連載終了したことと連動して、80年代末~90年代初期に、一端チーム数の伸びは鈍化、選手数は減少に転じます。
93年5月に日本プロサッカーリーグ「Jリーグ」が開幕。
(私事ですが、私がサッカーを初めたのがこの年。)
そこからJリーグ・バブルの勢いにより、再び上昇を描くチーム数と選手数。
しかし、そこはバブル。Jリーグ黎明期の熱も冷めると、またもチーム数、選手数は減少に転じます。
再び上昇を描くのは、02年の日韓W杯開催まで待つことになります。。
(この時期の凹みは、やはり少年ジャンプでスラムダンクが連載されたことで、バスケ人気→バスケ始める子ども増えた説ではないかと……漫画の影響力凄い?!)
とここまではプレーする側の話。。
一方でチーム数が増え、競技をする選手、子どもが増えれば当然ながらサッカーを教える側の「指導者」も増えているはず。。というわけで、図3と図4を
【図3 JFA登録D級・C級指導者数 時系列推移】
【図4 JFA登録B級・A級指導者数 時系列推移】
指導者のデータは04年からということで、チーム数、選手数と同じ時間軸で比較できないのですが... こればっかりはデータ元起因なので仕方ないってことで、とりあえず各年の男子日本代表監督をテキストで載せてみました。
というのも、その時の日本代表監督の志向するサッカーが少なからず育成年代の指導者にも影響を及ぼすものと思っていまして、参考情報として見ていただければと思います。
D級からA級までざっくり指導者ライセンスの区分について記しますと、、
- D級・C級 :〜U12までのグラスルーツを指導する指導者
- B級・A級 :〜U18までの全国レベルの選手を指導できる、リーダー的指導者
D級、C級は志ある方なら誰でも取得可能ですが、B級、A級となってくると、そこよりも下のライセンスを保持していることに加えて、指導実績も加味されてくるので、指導者としての経験と質の両方が取得資格の要素として求められてくるわけです。
※詳しくは下記JFAオフィシャルをご参照ください。
◆指導者養成講習会|JFA公認指導者ライセンス|指導者・審判|日本サッカー協会
04年からとはいえ、指導者もまた、チーム数、選手数と同じく増え続けていることがわかります。
上記に記したように、上級のライセンスになるほど取得資格を得るのには指導実績が伴ってくることから、A級ライセンス保持者ともなると、ちょうど2010年のザックジャパンの頃にようやく1,000人を超えたくらいの規模でしかありません。
グラスルーツを指導するD級、C級は06年〜07年のオシム監督時代までは伸びが大きかったものの、岡田監督に代わった07年以降ややその上昇ペースが緩やかになっています。ともあれ、2010年代に入ると再びその数を加速度的に増やしている印象です。
最後に女子について。
【図5 JFA登録女子チーム・女子選手数 時系列推移】
女子チームは、厳密には育成年代ではなく、中学生以上をトータルでカウントしているような定義になっています。つまり、シニア女子チーム、女子シニア選手も一緒にされているわけです。
なので、参考値として留めておくのがよいのかなと思えたりもしますが、こちらも着実に右肩上がりのトレンドを描いていることがわかりますね。
ざっとここまで統計値ではありますが、小学生・中学生年代までの育成について、そのチーム数、登録選手数の推移でもって可視化・俯瞰してみました。
日本サッカー冬の時代から数えて、2020年東京五輪まででおよそ40年ほど。
サッカーが子どもたちの中でポピュラーな競技となり、地域密着の名のもとに47の都道府県ほぼすべてにサッカーチームが存在するようになりました。
Jリーグ・チームの下部組織(アカデミー)に限らず、冒頭アーセナルSSのような欧州クラブの名を冠したサッカースクールや、おらが街の少年サッカーチームなど。子どもがプレーできる環境、チームが着実に増えてきていることは、草の根活動の成果とも言えます。
ただ、高齢社会と少子化が進行するこの日本において、今後はあらゆる領域で今までのサービスや品質の水準を維持できずシュリンクしていく場面に出くわすことになるでしょう。
サッカーも例外ではなく、今はまだ上昇局面にあるかもしれませんが、このままではいつかピークを超えて、やはり後退局面に入るやもしれません。子どものみならず、人口が減少に転じる時代にもう入っているのですから。。
育成の行先は最終的にはトップカテゴリ、さらには世界で活躍する選手に...ということなのでしょうが、サッカーという文化を根付かせるという意味では、普及と人気の浸透にこそ真に必要な草の根の取り組みであると言えるのではないでしょうか。
ざっと統計値ではありますが、時系列にて育成年代の規模感をトレンド的に可視化してみました。
高橋先生「キャプテン翼」の偉大さもあり、先日お亡くなりになられた木之本さんのご尽力により開幕となったJリーグもあり、男子女子の日本代表の活躍も当然あるなどして、ここまでの成果があります。
今後も、「プロを目指す!」「本当にプロになった!」のような、意識の高い層、あるいはエリート層の実情。一方で、街の少年サッカーチームから中学、高校とJリーグのアカデミーとは別のルートで叩き上がってきた層など、草の根の果ての「成果」の部分であったり、草の根の深い部分での実態など、それぞれ可視化が難しい部分のデータや情報がないか引き続きウォッチしていきたいです。
では、また!